イラストレーターKrimgenのお知らせや日々のこと。
幸せとは

オーストリアの人はのんびりしています。

オーストリアに来てから、これには毎回驚かされました。

 

日本など東アジアの国は人口も多く、

競争に揉まれて育ちます。

これは未だに熾烈な受験戦争があり、就職の競争があり、

社内での出世争いがあり、子育てや出産で競い合い、

ということが「至極当然である」という風潮からも

よくわかると思います。

日本人は競争が大好きそうに見えます。(私はその競争が苦手でした)

 

そんな社会で育った私にはオーストリアの教育は

本当にこれで大丈夫なのかな、と

思うくらい子供を甘やかしているように見えます。

子供はのびのびと、本当に幸福そうに

好きなことをやって暮らしています。

 

大人たちも家族と過ごす時間を一番大切にしていて

のんびりと大きな家に住み、時の流れが止まったかのように

暮らしています。

「余裕を持った人生」というのが最も重要視され、

それは一種のオーストリアのステレオタイプです。

そして皆「幸福とはかくあるべし」という風に本当に幸福そうです。

 

そんな周りの人たちを見ていると、私は何をこんなに生き急いで

必死に働き、何かを目指して一生もがき続けるのか。

そしてそれは一種馬鹿馬鹿しいことなのかという思いが

過ぎることがあります。

彼らのように力を抜いて生活に満足し、生きていければ

私も幸福に感じるのだろうか?と。

一生懸命そういう人生を自分の中に当てはめてイメージして見たのですが、

どうやらそれでは私は幸福を感じられないようです。

 

「幸せとは何か」というのは人間がよく持つ疑問ですが、

日本人はそのことを各人が真面目に考えて、人と比較し、

悩み、そして諦めていく人もいます(ある意味個人レベルでとても賢い)。

オーストリア人は生まれた時から「幸せとはかくあるべし」

という確固たるものを持っている(与えられている)人が多く、そして実際に幸せそうです。

 

思うに、人間にはぽっかりと穴が空いていて、その空洞を何かで

埋めることができれば「私は幸せである」

と感じることができるのでしょう。

空洞は生まれや育った環境、経験によって広がったり小さくなったり。

その穴が埋まりきって満足している人がオーストリア(の白人社会)には多い。

 

穴を埋めるピースは本当はそれぞれの人間で違う形のピースが必要なので

「幸福そうな人」の真似をしたとしても空洞が塞がらず結局うまくいかない。

日本人は自分たちの空洞を埋めたいと必死に幸福そうな人の真似をしてピースを入れて見るんだけれど

合わないことに戸惑っている人が多く(提示されるサンプルが少なすぎる様にも見える...)、

オーストリア人は子供の頃から大人から

「さあこのピースを入れるんですよ」と教わって貯め続けているので元々空洞が小さく、

埋まっている人が多い(様に見える)。

 

実際にはオーストリアにも悩んでいる人はいます。

「このステレオタイプのピースを入れられ続けて来たけど、どうやら私には合わないみたい」

と大人になってからふと気付くタイプ。オーストリアの外に行く人が多いです。

日本人の中にも、熾烈な社会の競争に勝って何かを得たとしても、

実際には自分の空洞が埋まっていないことに気がつく人もいる(様に見える)。

 

のんびり暮らしても、競争してもどっちでも良いんです。

その人のピースが埋まる方法を自由に選べるならば。

 

話を自分のことに戻して、

私はどうやら結局のところ、自分の空洞を

自分でものを作って(ピースを作って)埋めているわけですが、

いつか空洞が埋まり切って満足する時が来るのでしょうか。

穴が大きすぎるので埋まる日は見えないですが

作品を作り続けるという点では、来ない方が良い事ですね。

 

私が作ったピースがちょっと似ている

だれかのピースにもなってくれると、私は幸せです。

 

 

 

 

 

 

グラーツ小話 comments(0) trackbacks(0)
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://hitorigoto.krimgen.com/trackback/676
<< NEW | TOP | OLD>>